ヘルシンキの悲劇
2025.09.02
そして、それは突然やってきた。
ヘルシンキで迎える4回目の朝、連日の買い付けの疲れが何となく残った体を、それでも意を決してベッドに起こし床に足をついた瞬間、腰に激痛が走り動けなくなった。しかも右脚に力が入らない。というか、右足に力を入れると新たな激痛が更に私を襲う。あまりの痛さでベッドに身体を投げ出し、色々な姿勢をとって「出来るだけ痛くない体勢」を探す。痛みで自由にならない身体をズリズリと動かしながら、やっと右側を上にして横向きになり、脚と脚の間に枕を入れるとほんの少しだけ楽になる事に安堵する。でも、いつまでも同じ姿勢でいると、それはそれで結構つらい。そこでちょっと体勢を変えようとすると、また激痛。
試しに、伸ばせないままでいる右脚を寝た状態で伸ばしてみようとすると、はたして別の痛みが激痛の上に乗っかってくる。その時初めて、その痛みが今まで経験したことのない種類のものであることに気がつく。「膝が痛い」とか「肘が痛い」とかそういう類いのものではなく、明らかに「神経が痛い」。右脚を伸ばすと右脚の神経(多分?)が痛い。感覚的には、幼少時代に経験した、歯の神経がむき出しになるほどのひどい虫歯をかみしめたときの、あの痛みに似ていた。その虫歯の痛みは、「痛いんだけれど、つい触りたくなっちゃう」ので”甘い痛み”と言われるそうだが、今回のそれはそんな生易しいものではなかった。まるで神経をすりこぎ棒ですりつぶされる様な痛み。世の中に「神経痛」なる言葉があるが、何故そう呼ばれるのか、「神経が痛い」と言われるのか理解できた。
ところで、私は腎臓にいくつかの石を持っている。それがおとなしく腎臓に収まってくれていれば何の問題もない。しかしそれは、何かの拍子に時々落ちてくる。尿道を通って落ちてくるときのあの痛みを初めて経験した時のことは今でも忘れられない。とにかく、痛い。どんな姿勢をとっても、痛い。何をやっても、痛い。家内が心配をして、「大丈夫?」と声を掛けてくれても、「いいから、あっちに行っていてくれ!」と思わず言ってしまうほど、イタイ。後日、ネットで調べると、結石によるその痛みは「痛みの王様」とか「三大激痛のひとつ」とか言われているらしい。その痛みも、何度か経験することで、今では石が落ちてくることまで察知出来て、呑気に待ち構える余裕さえ感じるようになった。しかし、日本から遠く離れたヘルシンキで与えられた今回の激痛は、そんな私に「痛みの王様」を初めて経験した時の衝撃と絶望を改めて思い出させてくれた。いや、間違いなくそれを超えるものだった。
さて、インスタグラムでリアルタイムに紹介されていた私の腰の故障ですが、当事者からのリアルなレポートがまだすんでいませんでした。と言うよりも、順調に回復をしてきた今、やっとお話しできるようになったといったところが正直なところでしょう。腰の激痛、実は当日の夕方、突然「スーっ」と引いていったんです。それとわかるように徐々に、腰の重い緊張感と共に消えていきました。勿論、色々な痛みや不具合は残りましたが、その後はインスタにあったように、周囲の方々の援助のお蔭で少しずつ快方に向かい、無事に買い付け旅行を終えることが出来ました。お店の話題や商品とは直接関係のないお話でしたが、時にはこんな苦労もあるんだな、そんな感じで受け取って頂ければ嬉しいです。
帰国後、病院で診ていただいところ、やはり立派な「椎間板ヘルニア」と「脊椎間狭窄症」。MRIの画像を見ながらお医者様が、「同年代の人が100人いたら、その10から15番目くらい」。私が、「…悪い方から」と尋ねると、「悪い方から…」。殆ど”詰んで”しまった状態ですが、自分自身の身体なので気長に前向きにお付き合いをしていこうと考えています。厳しい残暑の中、皆様もくれぐれもご自愛くださいませ。